リトルリーグの歴史

 リトルリーグの歴史は、1939年(昭和14年)6月からはじまりました。

 現在リトルリーグの世界本部があるアメリカ・ペンシルベニア州ウイリアムスポートに住んでいたカール・ストッツという人が、近所の子供達12人でチームを結成したのがはじまりです。はじめの頃は、野球の好きな9歳から12歳までの少年で作られたわずか3チームの小さな団体でしたが、アメリカ各地に仲間が増えるにつれて、「品性と勇気と誠実」の野球少年団はいつしか「リトルリーグ」と呼ばれるようになり、やがて世界にも広がりはじめました。そして、1947年(同22年)には、第1回のワールドシリーズが開催されました。現在、ワールドシリーズに使われているラマダ・スタジアムは、1960年(同35年)に寄付されたものです。1964年(同39年)7月16日、ジョンソン大統領の署名によって、連邦政府認可の法人として成立したリトルリーグは、アメリカのボーイスカウト活動、青少年赤十字団などと並んで立派な社会活動の団体として認められることになったのです。

 こうしてリトルリーグは世界中に広まってゆき、2010年度は全世界で7123リーグが登録し、220万人の選手、100万人のボランティアが参加しています。ワールドシリーズは,毎年、このウイリアムスポートで開催されています。2000年までは国内予選、地域予選を勝ち抜いた米国4チーム(東部、南部、西部、中部)と、国際4チーム(極東、中南米、カナダ、欧州)の計8チームで争われていました。

 しかし、2001年からは使用球場が増設されて2つとなり、参加チームは倍増されました。現在は米国8チーム(北東部、西部、五大湖、中部、中東部、北西部、中西部、南東部)に国際8チーム(アジア太平洋、南米、カリブ、中東・アフリカ、日本、カナダ、欧州、メキシコ)となりました。球場は、従来の「ラマダ・スタジアム」に新設の「ボランテイア・スタジアム」です。

 予選は米国、国際各グループ別に行われ、それぞれ優勝を決めます。そのチャンピオンチームで争われるのが「ワールドシリーズ」です。

                                   

 

日本のリトルリーグの歴史

 日本でリトルリーグの活動が始まったのは、1955年(昭和30年)頃です。東京の近郊でわずか5~6リーグの規模でした。1959年(昭和34年)、米国人の飛行士であるMr.Bill Hatchが日本で初めて正式に国際登録された日本のリーグを組織しました。それから5年後、アジアではじめてのオリンピック大会が東京で開催された記念すべき年、1964年(昭和39年)、日本リトルリーグ野球協会が発足しました。この年は、アメリカでリトルリーグが誕生してから25周年にあたるため、米国本部からの呼びかけもあって協会が設立されたわけです。1970年(昭和45年)になるとそれまでリトルリーグをバックアップしてきた三井物産に加え、フジ・サンケイグループも応援することになり、全国的な組織として年々拡大していきました。

 その後、さらに発展を期してリトルシニアの組織と合併し、2005年5月に文部科学省から「財団法人」の認可がおり、リトルリーグは協会の中のリトルリーグ委員会が運営管理を行っていました。そして、2011年にはリトルシニアと別れて公益財団法人を目指して一般財団法人日本リトルリーグ野球協会を設立、内閣府に公益認定を申請して2012年4月1日付けで認定されました。

 また、リトルリーグの世界選手権で日本は1962年(昭和37年)から参加し、67年(同42年)に西東京リーグが初めて世界一になるなど注目を集め、その実力と運営が高く評価されて、それまではアジア太平洋大会(旧極東大会)で優勝しなければ出場できなかった世界選手権に2007年(平成17年)から全日本王者が直接、世界大会に出場できることになりました。2015年の東京北砂(東京連盟)を含め、日本はこれまで10回、世界一になっています。